五稜郭へ夢紀行
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箱館奉行所

函館市は、2006年7月から、4年の歳月と28億円の総工費をかけて、箱館奉行所を復元し、2010年7月29日に一般公開しました。箱館奉行所とはどんな施設で、どのように復元されたのか、どこが観覧のポイントなのか、一緒に探ってみましょう。

箱館奉行所のオープンと開館日時

箱館奉行所は、2010年7月29日にオープンし、ちょうど夏休み時期ということもあり、50日間で50万人という、驚くほど多くの人が入館し、大変な賑いを見せました。休館日は12月31日から1月3日までで、機材点検等のための臨時休館もありますが、それ以外は1年中一般公開しています。開館時間は、4月から10月までは9時から18時まで、11月から3月までは9時から17時までです。

五稜郭跡

箱館戦争の戦場となり、1869年明治政府軍が占領した五稜郭は、兵武省(ひょうぶしょう)が管理するようになりました。1871年に箱館奉行所の建物をほとんど取り壊し、1873年からは陸軍省が兵士を訓練する場所に使用したため、函館市民はほとんど入ることができませんでした。そのため、土塁や石垣で囲まれた五稜郭には、「城」「軍事施設」のイメージがつきまとってきました。1914年に公園として函館市民に開放され、桜の植樹が始まって以後も、五稜郭が実際どのような姿であったのか、それを理解してもらうには不十分でした。

復元の構想

1922年に国の史跡に、1952年には北海道唯一の特別史跡に指定され、文化財としての色合いを持った、市民の公園が成長してきました。幸い、函館市の図書館や博物館は、多くの資料・文献を持っていました。さらに、箱館奉行所の設計当時の平面図や、建てられた直後の写真も見つかりました。遺跡の発掘調査をすることで、資料の正確さを確かめることもできました。建物の位置や大きさ、部屋の間取りや名前などがわかり、復元の構想へと結びついてきました。幕末に築かれた五稜郭、当時その中心となった箱館奉行所に迫って見ましょう。

箱館奉行所の外観

箱館奉行所は平屋の日本式木造建築ですが、火の見櫓のように背の高い施設が、平屋の建物の屋根の上に乗っています。それは、太鼓櫓(たいこやぐら)と言い、地上から太鼓櫓の上までの高さは16.5mです。函館港の様子を監視したり、時報を告げたりしていたと考えられます。それ以外の1階部分は、屋根までの高さが約12mで、面積は約1,000㎡あります。美しい赤茶色の屋根瓦はおよそ38,000枚あり、総重量は140tにもなります。非常に壮麗で気品も漂う日本式の建築です。

奉行所の内部と展示方法

外観を眺めた後は中に入り、順路に沿って歩いてみましょう。入館者は入口で履物を脱ぎ、貰った靴袋に入れて持ち運びます。箱館奉行所内は、いくつかの区画に区切って見所を変え、その展示の仕方を工夫しています。再現ゾーン、歴史発見ゾーン、映像シアター、建築復元ゾーン、主にこの4区画となります。

再現ゾーン

四之間、参之間、弐之間、壱之間とまっすぐ並んでいて、襖をすべて開けると72畳の大広間になります。その奥に武器置所と表座敷があり、表座敷が奉行の執務室です。この区画にある部屋は、箱館奉行所内で最も格式が高く、違い棚があり、掛け軸がかけられ、部屋の飾り金具なども区別されていました。外に向けられた障子を開け放すと、そこには四季折々の五稜郭が目に飛び込んできたことでしょう。

歴史発見ゾーン

中庭の向こうに太鼓櫓を見上げながら進むと、歴史発見ゾーンに出ます。その最初の部屋は、御役所調室(おやくしょしらべしつ)という執務室で、45畳の広さがあり、箱館奉行所の中で最も広い部屋です。総重量140tにもなる瓦屋根は、建物全体の数多くの柱が支えているのですが、この部屋の内部には柱が見当たりません。柱に代わる仕組みがあるからなのです。この部屋では長さ約10m太さ約60cmの梁が、柱から柱に渡してあり、天井の一部を開放することで、天井裏の太い梁とその役割を見ることができます。この区画にある展示に目をやると、徳川幕府の蝦夷統治と外交について、ペリー来航と箱館開港について、五稜郭の役割と盛衰についてなど、訪れた人はさまざまな思いをめぐらすことができるでしょう。

映像シアター

展示資料を見て次の部屋に進むと映像シアターです。ベンチが並べてあり、休みながら映像を観覧することができます。箱館奉行所の復元までの足跡を、映像でわかりやすく生き生きと紹介していますので、ゆっくりと眺めてみてください。設計の段階では、文献資料や図面を丹念に読み取り、当時の写真と照合し、遺跡を発掘して確認しています。復元の過程では、建築に使われた部材や産地を調べ、建築や内装の技術を再現し、宮大工など多くの職人の技を全国から総動員しています。それらを全て記録し映像化してきたこともわかり、大変興味深い映像となっています。

建築復元ゾーン

そうした映像を見てから、建築復元ゾーンに進むと、日本式建築の技術を示す展示や、復元された出土品が展示されています。また、釘を使わずに木材を繋ぐ模型が並べてあり、観覧者はそれを手にとって見ることで、奉行所建築の技法の一端を知ることができます。玄関前に埋められてあった大きなかめ、当時の生活様式を偲ばせる生活用具などが展示されています。

当時の姿を今に

建築された当時の位置に、そのままの姿の建物を、同じ部材、工法で復元し、内装も調度も同じくすることが目指され、青写真は描き上げられました。それを浮き彫りにするための工夫もされ、年表や地図などの歴史資料のほかに、映像・発掘品・模型などが用意されました。

箱館奉行所と五稜郭の実像

箱館奉行所とは、鎖国から開国へと舵を切った徳川幕府が、開港した箱館を幕府の直轄地にして、外国との交渉や蝦夷地の統治を進めるための役所です。周辺には倉庫や長屋など、20以上の付属施設がありました。その役所と付属施設を防衛するための施設が五稜郭です。当時のいくさでは、大砲が大きな威力を発揮したので、標的になるのを避けるために、天守閣のような背の高い建物は建てられませんでした。五角形の形は西洋の築城技術から生まれました。五角形の突き出た部分を「稜堡」と言いますが、稜堡と稜堡の間は銃による射撃の範囲に入り、両側から狙い撃ちができます。防御に適しているので、採用されたのが五角形の星形です。

復元の範囲と規模

当時の箱館奉行所は全体で約3,000㎡の規模があったことがわかっています。特別史跡の中での建築なので、遺跡を壊したり変えたりすることはできません。遺跡を壊すことなく、その上に乗せる特殊な工法で、箱館奉行所は復元されています。さらに、3,000㎡におよぶ大規模木造建築には、現在の建築基準法や消防法による制限があります。そのため、全体の復元はできないことになり、古い写真に写っている棟を中心に、約1,000㎡を復元することとなりました。当時の箱館奉行所の、約3分の1の規模になります。